パートのこれからの変化

「会社人間」の行動であったとしでも、それ自体が個人の自発的行動であるはずだ。 定着の結果として「会社人間」が成立するのであり、「会社人間」であるゆえに、定着という行動を選択するわけではない。
日本型システムは人間を幸福にしないか。 会社人間については以下で述べるとして、ただこの段階でも次のようには理解できるはずだ。
すなわち、職業生活の安全や職業的地位の獲得が個人の目標であれば、それが充足されることによって、定着が生まれうる。 ただ単に定着を有利とする制度が日本型雇用システムであるわけではなく、定着を通じて個人目標を充足させる諸制度を日本型雇用システムは緻密に作り上げたのであり、この結果として「会社人間」が生み出されたということである。
もちろん、次のように問題を設定することはできる。 すなわち問われているのは、職業生活の安全と独立の関係であり、あるいは雇用の安定と転職の自由の関係である、と。
確かに日本型雇用システムは、その定着型の雇用によって職業生活の安全を追求するものであったとしても、それによって職業生活の独立を犠牲とするものであった。 しかし、安全が依存を意味し、依存が従属を意味するのであれば、それはつまるところ、Lの言葉を借りれば、「人間を幸福にしない日本というシステム」というものではないのか。

人々の価値観は、安全よりも自由、特定企業への定着よりも転職の可能性へと変化しているのではないか。 もしそうだとすると、日本型雇用システムは人々の目標を叶えるものではなくなっているのではないか、確かにこうした議論が飛び交っている。
安全が依存となり、依存が従属となる、といった命題が成立するのであれば、確かに話はここで終わってしまう。 ここから、安全ではなく自由を、依存ではなく独立を、といった結論に至ることも不思議ではない。
しかし、少し冷静に考えてみれば、このような二分法や二者択一が物事をあまりに単純化するものであることは明らかだ。 雇われるということ自体が、自由よりも安全を選択することであるといえば済むことであり、と同時に、たとえそうだとしても、安全のために人はただ、依存と従属に甘んじるわけではない。
あるいは雇用関係に入るということが1つの制約を受け入れることであったとしても、しかし制約を前提として個人の自発的行動も生まれうる。

知らなきゃ損をするパートに関する情報満載のサイトです。
相性のよいパート情報を見つけていただくため、様々な情報を集めました。
お勧めのパート情報ならこちらをご利用ください。